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[レポート] 令和4年度収蔵品展「こどもの国」のデザイン ー 自然・未来・メタボリズム建築【国立近現代建築資料館】



東京都台東区にある国立近現代建築資料館では、「令和4年度収蔵品展「こどもの国」のデザイン ー 自然・未来・メタボリズム建築」を開催している。

これは、近年、社会福祉法人こどもの国協会から国立近現代建築資料館に寄贈された、こどもの国の施設建設にあたって、こどもの国建設協力会において作成された事業記録に関する書類、工事契約書、寄付金関係書類など文書資料(施設の設計を担当した建築事務所が作成した青焼き図面も含む)を展示するものである。

[THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA] では、(1)元々、計画敷地が旧日本陸軍の弾薬庫で、現在でもその遺構を多く残していること、(2)計画・設計にあたった建築家の中心であった浅田孝をはじめとするメンバーの一部は、その後、横浜市のまちづくり(都市デザイン)に深く関係していること、(3)これらのこども国開園当時の施設多くが現存しないことから「戦後建築」保存について検討する上で参考になると考えられることから、神奈川県外の資料館の展示ではあるが、レポートすることとした。



横浜市青葉区にある「こどもの国」は、当時の皇太子殿下(現上皇陛下)のご成婚を祝して全国から寄せられたお祝い金を、子供のためになる施設に使ってほしいという殿下の御意向を受け、国費をはじめ多くの民間企業や団体・個人の協力を得て、昭和40(1965)年5月5日のこどもの日に開園した児童厚生施設である。

子どものための施設を作るための議論は、厚生省が主導し、朝日新聞が協力する中で、昭和25(1960)年4月に中央児童厚生施設特別委員会が設立されたことで本格化した。並行して敷地の選定作業が進められ、現在の敷地である旧日本陸軍田奈弾薬庫跡地が候補にあがり、自然環境に恵まれている点が高く評価され選定に至ったとされる。



昭和26(1961)年には「こどもの国建設要綱」が定められるとともに、中央児童厚生施設特別委員会のメンバーでもあった浅田孝が「こどもの国」の計画全体のマスタープラン作成者に選ばれた。こどもの国マスタープランの大方針は、自然環境を出来るだけ残して、子どもの自発的な遊びを重視するという考え方であり、この基本方針が、その後の「こどもの国」のデザインを決定づけた。



1963年に「こどもの国」に必要とされる施設の設計を行う「設計集団」が発足させるが、そのメンバーは浅田孝、大髙正人、菊竹清訓、黒川紀章ら、1960年に日本で開催された国際デザイン会議の準備に際して結成されたメタボリズム・グループのメンバーであった。「こどもの国」の施設設計は彼らがメタボリズムの思想、試みの一端を実現する好機となったと言える。

また、メタボリズム・グループのメンバー以外からも大谷幸夫やイサム・ノグチが建築設計・遊具デザインで加わることとなり、その後の日本建築の発展を担う若い建築家やデザイナーによる豪華な共演となった。

マスタープランでは、敷地全体は、大きくABCDの地区に分けられており、本展示もその地区ごとに構成されている。



<A地区>

A地区は広大な緑地計画と施設からなるスケールの大きな空間。管理棟、集会所、食堂、中央広場、児童遊園などの設置が計画された。



皇太子記念館(現・平成記念館)は浅田孝の設計。現存する数少ない開園当初の施設の一つ。今回の展示では記念館と中央広場周りを取り囲む科学館を一体的に整備する初期案や五角形平面に急勾配の大屋根を付けた案などの図面も展示されている。令和3(2021)年に内部空間の座席が取り除かれるなど大改修が実施された。



児童遊園はイサム・ノグチ、児童館は大谷幸夫の設計。児童館は現存しないが、イサム・ノグチの遊具の一部「丸山」「オクテトラ」と入口アーチや公衆便所は現存する。

ここでは児童遊園の配置図、解体された児童館の平面図や矩計図、C地区内で計画されていた初期案が展示されており、イサム・ノグチとの協働となる前に検討されていた様子を知ることができる。


<B地区>

B地区は、水辺を生かした魅力的活動と静かな風景が共存する。人造湖(現・白鳥湖)セントラルロッジ、キャンプ場、野外集会場などが計画された。



自然プールは浅田孝の設計。人造湖の奥に設けられ、平面的には多角形や曲面を多用したプールであり人気を博したが、井戸水利用であり、水温が低かったため、昭和52(1977)年に新しいプールが中央広場の北側に作られ、廃止となった。ここでは、「第二次案略設計図」が展示されていおり、その中の立面図部分からは、周囲の自然に溶け込むように、岸から人造湖に向かって、水面を段上に下げ、段差が生じるところには滑り台を設けるなどの工夫を読み取ることができる。



セントラル・ロッジは黒川紀章の設計。人造湖を見渡す丘に建てられ、4本の柱のピロティ構造で支えられた富士山型の大屋根をもつ。また、ロッジの階段を降りると、人造湖に面して大きなステージ座席からなる野外集会室が設けられていた。

ここでは建築物の立面図、平面図、断面図と野外集会室も含めた平面図が展示され、大きな局面体が浮遊するような未来的なイメージや、自然との共生、自然の中での街路空間など多彩な意図が込めれた施設デザインであったことが伝わってくる。



アンデルセン記念の家も黒川紀章の設計。アンデルセンの生誕150年祭などを契機にアンデルセンへの認知・関心が高まっていたことを受けて、アンデルセンの生家周辺の街並みの模型、童話を題材にした絵画、アンデルセン全集などを備えた施設として設置された。

ここでは、平面図・立面図・断面図及び詳細図が展示されており、木造平屋に長く延びたコンクリート造の細長い通路が確認できる。

昭和60(1985)年に老朽化のために取り壊されたが、平成7(1995)年に基壇部と通路を生かして「赤ちゃんの家」という名称の施設が整備された。


<C地区>

C地区は、自然の現況を保存。山野歩き、諸イベントの草原、ユースホステルの設置が計画された。

フラワーシェルターは黒川紀章の設計。牧場近くの丘陵に建つ一対の休憩所であり、花が咲いている姿と閉じた姿を表している。鋼鉄パイプと鋼板を組合せた花弁は、開花型休憩所で10枚、つぼみ型休憩所では、8枚が用いられおり、材料の寿命に合わせて、一枚づつ交換できるという配慮もなされている。この施設も現存する数少ない開園当初の施設の一つである。



修学旅行会館

大髙正人の設計により、修学旅行生用の宿舎として計画されたが、資金不足により建設が見送られた。

ここでは、配置図、鳥瞰ドローイング、平面図・立面図・断面図が展示されている。

配置図を見ると、地区の谷をまたぐ形に計画され、主要部分に大屋根がかけられているのが特徴となっている。


<D地区>

ABC地区を隔てる休息の空間。林間学校、遊具を備えた遊び場、こども自動車コースなどが計画された。



交通訓練センターは、鈴木彰の設計。特別に作られた小型のこども自動車の運転を通じて、アクセル、ブレーキ、ギアチェンジなどの操作や自動車交通ルール全般の学習を行うためのセンターとして設置された。

ここでは配置図・平面図・立面図が展示されており、景観的な配慮から低い谷に計画されていることや、単純な形態であることで周囲の景観に馴染ませようとする意図が感じられる。

交通訓練センターは、子どもたちが自ら小型自動車を運転し、園内の専用コースをドライブできるというもの。対象は小学5年生から中学3年生。事前に講習を受け、運転の練習をし、テストに合格した人だけが免許を取得できるという本格的なものだった。運営期間は昭和40(1965)年7月から昭和48(1973)年12月まで。専用のこども自動車の損傷が激しくなり、交換部品の調達も難しかったため、終了を余儀なくされた、建築物も平成4(1992)年に解体された。



林間学校の設計は菊竹清訓。林間学校は、宿泊しながら運動を楽しむことができる施設であり、80人収容の集会場兼食堂と管理室を備えるメインホール、宿泊用のキャビン4棟、休憩展望用キャビン、浴室キャビンに加えて、卵形平面の林間プールと更衣室キャビン2棟、1周200mの総合グランドで構成された。

ここでは、イメージドローイング・一般図・矩計図、立面図、平面図、断面図、鳥瞰図などが展示されている。

螺旋階段を内包する円筒と3枚のコンクリート壁で持ち上げられた3つの5角形平面を組み合わせたキャビンの姿は、菊竹のスカイハイツや江戸東京博物館にむ通じる浮揚感を持っているように感じる。

しかし、それより目を引くのは、比較検討案で、最終案に至るまでに、実に多用な検討をしているのかを知ることができる貴重な資料であった。



その他の展示物には、前出の修学旅行会館と同様、計画されながら資金難などからの理由で建設されなかった施設の図面なども展示されている。

展示全体を通して感じたことは、時代の寵児ともいえる、後の日本の建築界をリードした建築家たちが、資金の状況などを踏まえながら、現実を見据え、比較検討を続け、自らの案を時には縮小、簡略化、さらには断念していく様子である。

「あとがき | こどもの国資料群に見るメタボリズムの実像」と題した小池周子氏(文化庁国立近現代建築資料館 研究補佐員)が「情熱と現実の間」と表したように、「メタボリズム遠地区」の実像に迫る内容であった。



なお、図面以外にも記録写真や書簡、議事録、委員会出欠連絡などの資料も展示されており、その中には、前出の建築家の他、粟津潔や柳宗理の名も確認できた。おそらく、世界デザイン会議やメタボリズム・グループの文脈で「設計集団」に加わったと思われるが、彼らが、どのように関与しているのかなどについては、今後も研究していきたい。




 

「こどもの国」のデザイン ー 自然・未来・メタボリズム建築


主  催:文化庁協  力:社会福祉法人こどもの国協会、公益財団法人東京都公園協会会  場:文化庁国立近現代建築資料館

     (東京都文京区湯島4-6-15 湯島地方合同庁舎内)

会  期:2022年 6月21日(火)~8月28日(日) 

     ※土・日・祝日は旧岩崎邸庭園のみからの入場(有料)となります。


 

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