<開港5都市景観まちづくり会議>
開港5都市景観まちづくり会議は、安政の修好通商条約により日本最初の開港地となった5都市(函館、新潟、横浜、神戸、長崎)の市民団体が集い、景観、歴史、文化、環境などを大切に守り、愛着をもって育て、個性豊かで魅力あるまちづくりを行うため、互いにに交流を深め、情報交換を行い、課題を共有、協議する場として平成5(1993)年、神戸市から始まった会議である。
その後、毎年各都市において順(神戸 - 長崎 - 新潟 - 函館 - 横浜)に会議が開催され、その成果はそれぞれの活動に活かされ、市民団体相互の交流も盛んに行われるようになっている。
横浜も第1回大会から参加しており、第5回(1997)、第10回(2004)、第15回(2009)、第20回(2014)、第25回(2019)大会を地元で開催し、各都市の市民団体を迎え、交流を続けてきた。
会議名は「景観まちづくり」となっているが、景観やまちづくりに特化していない多様な市民活動も対象としており、その中でも「歴史を生かしたまちづくり」は、重要なテーマの一つとして、各大会において分科会等で取り上げられてきた。
今年、令和4(2022)年は、新潟で開催予定となっている。
参加者募集のリーフレットによると「温故知新 〜五港のキズナを未来にツナグ」を全体の大会テーマとし、令和4(2022)年9月23日(金・祝)〜25日(日)の日程で、基調講演、パネルディスカッション、5コースのエクスカーション(分科会)などが実施される予定となっており、今後の横浜・神奈川の歴史を生かしたまちづくりを伝えていく上でも、参考となる議論や事例の紹介も期待される。
[THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA]は昨年の長崎大会に続いて、歴史を生かしたまちづくりをテーマとした市民webメディア団体としてこの会議に参加する。
今後、この大会を通じて、横浜と同じ「開港の地」である各都市の「歴史を生かしたまちづくり」に関する情報を皆様にお届けしたいと考えている。
<開港5都市・新潟とは>
江戸時代から北前船の寄港地として大いに栄えていた新潟港は、「日本海側にも1港欲しい」という諸外国からの要求に応え、開港場の一つに選定された。しかし、信濃川河口に位置するため水深が浅いことや、戊辰戦争等の影響もあり、開港が遅れ、明治元(1869)年1月1日に正式に開港。平成31(2019)年に開港150周年を迎えている。
古町花街には、かつて日本三大芸妓の一つに数えられた古町芸妓をはじめ、今も料亭や置屋などの木造建築物を残し、江戸・明治からの時と記憶を刻んでいる。
また、新潟を代表する花、チューリップを使った花絵で、街なかに潤いのある景観をつくっていく活動「にいがた花絵プロジェクト(令和5(2023)年以降休止予定)」、大河信濃川の広大な水辺空間を生かした官民連携の取組「ミズベリング信濃川やすらぎ堤」など都市景観演出や都市空間活用も活発に行われている。
©新潟観光コンベンション協会
<新潟市の景観まちづくり・歴史を生かしたまちづくり>
新潟市の歴史的景観を含めた景観の保全創造に対する取組は早く、旧条例「新潟市都市景観条例」を平成4(1992)年4月から施行し、平成5(1993)年3月には都市景観の形成を総合的かつ計画的に推進するための総合計画として「新潟市都市景観形成基本計画」を策定した。その後、平成5(1993)年からは都市景観アドバイザー制度(現景観アドバイザー制度)、平成7(1995)年からは都市景観形成推進組織の認定及び助成(現景観形成推進組織)が制度化されている。
平成19(2007)年4月からは平成16(2004)年に施行された景観法に基づく「新潟市景観条例」として旧条例の全部改正が行われ、あわせて「新潟市景観計画」が策定・施行された。
前述の都市景観形成推進組織の認定及び助成制度が制度化された平成7(1995)年は、前年に新潟市が開港5都市景観まちづくり会議(長崎大会:第2回・平成6(1994)年10月開催)に加わり(平成5(1993)年の発足時には開港4都市であった)、新潟大会(第3回・平成8(1996)年2月開催)を翌年に控えていた節目の年だったということになる。
こうした経緯もあってなのだろうか、新潟市は「開港5都市景観まちづくり会議」を公式に景観まちづくりの取組みに位置付けており、行政や関係団体が積極的に会議に参加している。
新潟市景観計画では、歴史を生かしたまちづくりに関わる部分として「水辺と田園が光る四季美しいまち・にいがた」を実現するための4つの基本理念の中で「情緒ある歴史文化と豊かな人情を大切にする」を掲げ、基本目標の中でも「歴史と文化を感じさせる深みのある景観の形成」を示している。
さらに、松林や歴史的まちなみ景観が残る二葉町1丁目区域(平成10(1998)年旧条例による指定からの移行)、萬代橋を中心とした信濃川沿岸区域(平成19(2007)年)、歴史的建造物である旧齋藤家別邸周辺(平成28(2016)年)や旧小澤家住宅周辺(令和2(2020)年)を特別区域に位置付け、それぞれに届出対象行為と景観形成基準を定めていることからも、いかに歴史的景観の保全が新潟市における景観形成の柱となっているかが見てとれる。
また、平成31(2019)年の開港150周年を迎えるにあたり、これまでの歴史のなかで、現在の新潟に至るまでの都市構造の変遷を振り返り、これから先150年を見据えた「新潟都心の都市デザイン」として都市デザインの理念が取りまとめられ、平成30(2018)年7月23日の新潟県・新潟市調整会議において、新潟県知事と新潟市長が了承し、公表された。
その中では都心部を都市軸、副軸、ゾーンに分けて都市デザインのイメージが示されており、特に「旧市街・開化ゾーン」では「みなとまちの歴史・文化的な街並みや花街文化・食文化を活用する」としており、歴史を生かしたまちづくりへの方向性が示されている。
<歴史を生かしたまちづくりに関する活動>
・旧新潟税関
幕末に開港した 5 港の一つ新潟には、明治 2 年(1869)運上所が設けられた。洋風建築 の税関庁舎が建てられ、昭和41(1966)年までその役割を果たしていた。昭和44(1969)年、旧税関庁舎 は全国唯一当時の姿を残す建物として重要文化財に、その敷地は史跡に指定された。
©新潟観光コンベンション協会
旧新潟税関庁舎は、新潟地震による被害や老朽化が進んでいたため、昭45(1970)年から解体修理がなされ、塔屋とナマコ壁が特徴的な建設当時の姿に修復された後、昭和47(1972) 年から新潟郷土資料館として公開されている(平成15(2003)年閉館)。また、運上所開設当時の景観を分かりやすく来観者に伝えるため、昭和57(1982)年には、税関の保税倉庫(倉庫は木造だが防火のために外壁に石が張られていることから「石庫(いしぐら)」と呼ばれている)が復原され、さらに平成15(2003)年には、荷揚げ場も復元整備、さらに昭和2 (1927)年に建てられた旧第四銀行住吉町支店が移築・復元され、国登録有形文化財となっている。
平成16 (2003)年には明治44(1911)年建築の 2 代目新潟市庁舎の外観をもとにデザインされた歴史博物館が開館した。
新潟の歴史を 通じて人が集う「みなと」のような場所となるようにと「みなとぴあ」と名付けられた歴史博物館では「郷土の水と人のあゆみ」をテーマとした展示があり、明治・昭和初期の歴史 的建造物とともに、情緒豊かな港町・水の都にいがたの歴史と文化を満喫できる。
・町並みと堀割の再生
元和 3 (1617)年、新潟町がつくられたとき、町の中には東堀と西堀などの堀が設けられ、 回船から荷物を積み換えた小船が行き交っていた。明治になると、町の拡大に伴って堀は 縦横に張り巡らされた。この堀は米や近郊でとれた野菜や魚を運ぶための運河として、また近所の人の洗面、洗い物など日常生活にも利用され、堀端の柳とともに新潟を代表する風情として人々に親しまれてきた。しかし、大正11 (1922)年、大河津分水の竣工による信濃川の水位の低下、天然ガスの採取による地盤沈下のため流れが悪くなり、また自動車交通量の増大への対策として、昭和39 (1964)年の新潟国体を機にすべて埋め立てられた。 旧新潟税関庁舎の復元整備にあわせて、昭和 61(1986)年に早川堀が史跡公園の一部として復元された。
さらに、かつての港町新潟の象徴であった堀と柳と木橋の景観を再現し、水の都復興のため堀を再生する活動や、町屋を修復し、活用する事業も進められている。その中でも旧小澤家住宅は、江戸時代後期から新潟町で活躍し、明治時代に運送・倉庫業をはじめ様々な事業を営んだ新潟を代表する豪商・小澤家の店舗兼住宅で市の文化財に指定されており、かつての新潟町の町屋の典型例として、みなとまち新潟のまち歩きの拠点となることが期待されている。
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・萬代橋
初代の萬代橋は、内山信太郎、八木朋直らによって民営による架橋が計画され、明治19 (1886)年11月に木造橋が開通した。長さは現在の 2.5 倍以上の782mあり、開通時は日 本最長であった。しかし明治41(1908)年の大火で焼失したため、翌年3月初代とほぼ同規模の木造橋が建設された。
2代目萬代橋の老朽化が進み、本格的な自動車交通への対応が困難になってきたため、昭和4(1929)年、隣に鉄筋コンクリート橋が建設された。
平成14(2002)年、建築技術、6連アーチ橋のデザインが評価され、国道の橋梁としては日本橋に次ぐ全国2例目の国重要文化財に指定された。指定に先立って、昭和60(1985)年に初代萬代橋の架橋100周年を記念して設置された橋側灯にかわり、10基の橋側灯が市民からの募金等により復活した。
信濃川の水面に美しいアーチを描く姿は、新潟市のシンボルとして代表的な観光地・景勝地となっている。また、信濃川両岸の護岸堤は「やすらぎ堤」として整備され、春には約 1,000 本の桜が咲きほこり、市民の憩いの場となっている。
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・古町芸妓の復活
江戸時代、北前船の寄港地として新潟は繁栄し、花街も賑わいを見せ、古町花柳界は全国屈指の花街として京都祇園、赤坂等と並び称されてきた。しかし、大正~昭和初期の最盛期には 300 人を超えた古町芸妓の数は社会の移り変わりの中で激減した。昭和 62(1987) 年、後継者育成のため、財界などが出資して全国初の株式会社組織の芸妓の養成と派遣を行う会社がつくられた。会社に所属する芸妓達は、新潟市無形文化財の第 1 号である日本舞踊市山流等踊りの稽古で芸を磨き、お座敷の仕事だけでなく、毎年 6 月の「新潟おどり」、8 月の「新潟まつり」などにも出演するなど、柳都新潟の観光大使の役割を果たしている。また、老舗料亭「行形亭(いきなりや)」や「鍋茶屋(なべちゃや)」が国登録有形文化財となるなど、その歴史的景観を守る努力が続けられている。
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・沼垂(ぬったり)地区
新潟市中央区の沼垂地区は、周辺に大工場が立ち並び、工場関係者が利用するまちとして栄えていた。しかし、住民の高齢化や相次ぐ工場の撤退などの影響による周囲人口の減少、また、中央卸売市場の建設にともなう沼垂の問屋の移転などにより往来は減少し、沼垂地区の商店街も空き店舗が多くなってきた。
そんな中、大衆割烹「大佐渡たむら」の田村寛氏がこの状況に危機感を持ち、大佐渡たむらの向かいにある長屋式の商店街に惣菜などを扱う店舗「Ruruck Kitchen(ルルックキッチン)」を平成22(2010)年に開店したのをきっかけとして、平成24(2012)年までに2店舗がさらに長屋に開業した。平成26(2014)年には田村氏が長屋式商店街をすべて買い取り、姉の高岡はつえ氏と共に店舗全体の管理事務所となる会社テラスオフィスを設立、統一したコンセプトのもとリノベーションを進め、商店街の名称を「沼垂テラス商店街」とし再スタートを切った。
この民間による商店街活性化の取組は高く評価され、平成28(2016)年に「地域再生大賞」準大賞、さらに平成29(2017)年に「グッドデザイン賞」を受賞している。
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・古民家カフェ・ゲストハウス
前述以外にも、古町の古民家をカフェやレストラン、ショップ、ゲストハウスなどに転用し活用している事例の枚挙に暇がない。
その中でも注目されているのが、令和3(2021)年12月、上古町商店街(新潟県新潟市中央区)で築100年の長屋をリノベーションしてオープンした複合施設「SAN」である。「まちのちいさなふくごうしせつ」をテーマにカフェやインフォメーション、ギャラリー、デザインオフィス、コワーキングスペースなどが入る。今後も、このように歴史的建造物が活用されている事例が増えることを祈り、ヘリテイジタイムズでもできる限り取材していきたい。
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