〈新潟から広がる五港のキズナ〉
いよいよ開催が間近(令和4(2022)年9月23日(金・祝)〜25日(日))となった開港5都市景観まちづくり会議2022新潟大会のテーマは「温故知新 〜五港のキズナを未来にツナグ」である。
今ではすっかり定着している開港5都市景観まちづくり会議のシンボルマークは平成13(2001)年・第8回新潟大会で提案され、採択されたものである。また、ウェルカムパーティーで毎回披露される開港5都市のうた「ウェルカム港町」も新潟市から始まっている。
近年では、新潟市職員でありながら、野外DJや日本酒トークイベント「ニシーノの酒場」を市民活動として展開している西野廣貴氏(TABIIT)が、開港都市を巡り、各地で関係者と交流を深めるなど、大会以外での開港5都市交流の中心となっている。
このようなことから、新潟大会で開港5都市の「キズナ」がテーマとなったのは、必然であったとも言える。本稿では、新潟から広がっていった「開港5都市」の「キズナ」について、2つの事例を紹介する。
〈山手チューリップアートプロムナード〉
横浜・山手地区の公開西洋館である山手234番館は、「歴史を生かしたまちづくり」の一環として、利用目的未定のまま横浜市が取得し、しばらくは放置状態であったが、平成9年度から10年度の改修工事にあわせて、市民との協働による活用検討が行われた。活用検討にあたっては地元町内会代表や専門家に加え、公募市民も加えた検討委員会を設置、検討2年目には2か月間の実験活用も行っている。実験活用の結果、山手234番館は山手の公開西洋館としては初めて市民運営で公開することとなり、平成11(1999)年にオープンした。
市民運営の中で、西洋館見学以外の施設利用者を増やし、使える西洋館をPRすることを目的として、様々な自主事業が企画された。その一つが平成12(2000)年以降、毎年春に開催されていたチューリップ花絵(平成13(2001)年からは「山手チューリップ・アート・プロムナード」)の展示である。
山手234番館©️Rie Nakamura
チューリップ花絵の展示が山手234番館の企画として始まったきっかけは、その前年、平成11(1999)年、神戸で開催された開港5都市景観まちづくり会議に遡る。
大会には横浜市から、鈴木嗣麿氏(山手まちづくり協議会)、嶋田昌子氏(横浜シティガイド協会)、天川勝三郎氏(山手東部町内会)、石川喜三郎氏(山手西部自治会)など山手234番館運営委員会のメンバーが参加、一方、新潟市からはにいがた花絵プロジェクト実行委員会代表の小柳行弘氏が参加しており、ここで両者が出会った。
新潟市ではチューリップ球根の生産農家が処分してしまうチューリップの花首を使って花絵を制作し、街の様々なところで展示する「にいがた花絵プロジェクト」が開催されいる。これを開港5都市の友好の証として、山手でも実施してみようと話が弾み、その結果、平成12(2000)年4月に新潟からチューリップ約7,000本が届くこととなった。
この年の山手地区の花絵制作は、山手234番館の前庭に有孔ボード1枚分のささやかなものであったが、ゴールデンウィークの山手の丘に華やかさをもたらした。
花首の摘取り(新潟市)©️Rie Nakamura
翌年にはこのチューリップ花絵は大きく様変わりする。トリエンナーレがこの年の秋に開催されることを機に、山手234番館の運営委員会が「花とアートで地域との交流ができないだろうか?」という思いから、中区の花である「チューリップ」を題材に、街を舞台にアートへ繋げる「チューリップ・アート・プロムナード」として企画を大きく拡大。元町商店街とのタイアップにより、規模は12倍となった。
山手234番館のボランティアスタッフと学生ボランティアと地元自治会から32名が参加し、新潟へ花首の摘み取りツアーが敢行され、翌日にはトラックで約85,000本のチューリップが山手に届いた。山手234番館で7,000本、元町公園で7,000本、元町商店街で約70,000本を使用して場所ごとに花絵が製作された。
翌年の平成14(2002)年からは、元町商店街での実施はなくなり、山手234番館の管理運営が横浜市緑の協会に管理運営ご引き継がれたあとも、山手西洋館のボランティアや地域の取組として継続され、山手234番館、元町公園噴水・カスケード、港の見える丘公園噴水広場なども活用し、取組は継続された。
こうして地域の方々の途切れることのない協働により続けられてきたであったが、関係者の高齢化などを理由に、全国都市緑化よこはまフェアが開催された平成29(2017)年の「第18回チューリップ・アート・プロムナード 」をもって一区切りとし終了することとなった。
また、平成5(1993)年から続けられていた、本家にあたる「にいがた花絵プロジェクト」も、チューリップ農家の高齢化、補助金の削減、ボランティアの不足などを理由として30回目の節目となる令和4(2022)年をもって休止とすることが発表された。
開港5都市景観まちづくり会議の交流をきっかけに、横浜・山手地区の歴史的建造物を彩ってきた新潟のチューリップ花絵。
一旦は、その歴史に区切りをつけることになったが、市民団体による両市の交流はまだまだ続いており、いつか形を変えながらも、その成果が現れることが期待される。
<開港5都市モボ・モガを探せ!>
開港5都市モボ・モガを探せ!横浜展(みなとみらい線馬車道駅コンコース)©️BankART1929
横浜市では、開港150周年を間近にした平成16(2004)年当時、みなとみらい地区が特色ある商業施設の整備などによって賑わっていく一方で、開港以来横浜の中心となっていた館内地区などは、開港の街であった歴史を今に伝える歴史的建造物が少しづつ姿を消し、横浜らしい風景が薄れたり、オフィスビルの空室率も増えたりするなど、経済・文化の両面で活力を失いつつあった。
この状況を脱し、再び横浜の魅力を取り戻していくために「クリエイティブシティ(創造都市)」という考え方に着目し、芸術や文化の持つ「創造性」をまちづくりに生かすことで、都市の新しい価値や魅力を形成する「創造都市施策」が生まれた。
その立ち上げとなる事業となったのが「都心部における歴史的建築物等の文化・芸術活用実験事業」であり、この時、事業にに応募したPHスタジオとST スポット横浜が母体となりBankART1929が創設され、以降、旧第一銀行横浜支店(BankART 1929 Yokohama)、旧富士銀行横浜支店(BankART 1929 馬車道)など創造都市の拠点となる施設の運営とそれにともなう文化・芸術活動が展開された。
開港5都市モボ・モガを探せ!横浜展(みなとみらい線馬車道駅コンコース)©️BankART1929
BankART1929がこれまで展開してきたアートプロジェクトは数多くあるが、そのうち開港5都市との連携により実施されたのが、開港5都市で1920年代から戦前まで数多くいたモダンボーイ、モダンガールを探す写真収集プロジェクト「開港5都市モボ・モガを探せ!」である。
きっかけは、平成18(2006)年3月にBankART1929が横浜みなとみらい線馬車道駅構内で開催した「横濱モボ・モガを探せ!」。この展覧会において、多くの人から「他の開港都市にも同様の写真があるはずだ」という意見が寄せられたことがきっかけとなり、実施に向けた会議がもたれたのが、平成19(2007)年・第13回新潟大会である。
そこで、このプロジェクトを各都市の独立した企画の連携で展開するというBankART1929の提案が受け入れられ、その後、約2年間に渡る各都市独自のプロジェクト期間を経て、平成20(2008)年9月26日には「開港5都市モボ・モガを探せ!プロジェクトとは?」がBankART Studio NYKで開催され、平成21(2009)年までには各都市が企画した巡回リレー展のような形で展覧会が開催された。なお、その様子は書籍としてまとめられているので、是非、一度ご覧いただきたい。
シンポジウム「開港5都市モボ・モガを探せ!プロジェクトとは?」(BankART Studio NYK)©️BankART1929
このように、開港5都市のキズナ紡いできた新潟。今年もどのような開港5都市の交流の種が撒かれるのか、非常に楽しみである。
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