※記事は取材当時のものです。
小田原駅を降り、東海道を箱根方面に向かう途中に板橋と呼ばれる地区がある。この辺りは、かつて早川から取水し、小田原城下へと水を引き入れた日本最古の上水道(小田原用水)が整備された場所であり、用水上に板の橋を渡していたことが「板橋」の由来とされている。明治以降には、近代別荘地としても好まれた地でもあり、軍人で政治家でもあった山縣有朋や実業家の松永安左エ門など政財界の要人が別荘を構えている。そんな板橋地区の旧東海道沿いを歩いていると、脇に小田原用水の遺る立派な蔵と町家に出会う。
旧内野邸は明治36(1903)年に建てられた店舗兼主屋、文庫蔵、店蔵、穀蔵、新座敷、文庫蔵、穀蔵、工場、稲荷社等で構成されており、昭和55(1980)年まで同地で3代に渡り醤油製造業を営んでいたそうである。街道に沿って建つ店舗兼主屋は、1階をなまこ壁と石張り風とし、2階は窓廻りを中心に銅版が張られている。街路に向かって張り出した袖壁も特徴的である。店蔵は土蔵造りで、外壁モルタル塗りとしている。これらは、何れも街路からの防火を意識した造りとなっている。この他、店舗兼主屋には戸口に石造のアーチが設けられており、伝統的な日本家屋を主体しながらも一部に洋風の意匠を取り入れたこの時代に流行も垣間見える。こうした歴史的価値が評価され、国の有形文化財にも登録されている。
そんな旧内野邸に月1回オープンする喫茶店が「武功庵」である。店名は、かつて同地で製造されていた「武功醤油」にちなんだとのこと。店舗兼主屋の脇に付く、表塀の木戸から前庭を介して屋内に入る。庭に面した座敷から廊下を渡り、主屋の2階の座敷に設けられた客席に通される。部屋に入ると、一面に施された職人技に圧倒される。特に床の間脇の付け書院の投網やそろばんの数珠を模した組子細工、鴨居にある鳳凰の透かし彫りが一際目を惹いた。座敷は、腰窓の付いた障子となっており、建具を締め切っても廊下側の窓を介して外の様子が分かるような造りとなっている。
一頻り室内を拝見した後、席に着き、煎茶とお菓子のセットを注文した。「武功庵」では、近隣の足柄茶や小田原市内の和菓子店のお菓子を提供している。初春の訪問だったこともあり、椿の花を模した和菓子が運ばれてきた。脇に添えられた菜の花に春を感じるおもてなしが嬉しい。上品な味わいの和菓子と僅かに甘みを感じる煎茶に癒される。
公式Instagramによると、この記事を作成時点から次の開催予定日は令和4年9月25日(日)となっているので、是非この機会に足を運んでみてはいかがだろうか。旧内野邸は将来に渡り貴重な建物の保全・活用を図っていくため、令和3年度に小田原市によって公有化され、定期的な見学会等が開催されている。現在活用に向けたイベント主催者も募集しているようで、今後の展開が楽しみである。
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