令和5(2023)年9月10日(日)、「開港5都市景観まちづくり会議2023函館大会」2日目は、8つの分科会に分かれるエクスカーションで始まる。
THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWAは、分科会4「建築・土木の専門家目線でめぐる~歴史的な建造物活用事例ツアー~」に参加した。
分科会4は、西部地区(末広町 / 元町周辺)を中心とした歴史的建造物の改修や利活用事例、まちを支えるインフラを見学し、函館の建築・土木の歴史をめぐりながら、歴史的な建築物の利活用方法や古い建物を残す上での課題、古くからあるインフラの整備等を踏まえ、5都市の対話を行う内容となっている。
分科会4は(一社)北海道建築士函館支部と函館湾岸価値創造プロジェクトの2組で運営された。
<街角NEW CULTURE>
夏の暑さが続く快晴のなか、各都市からの参加者、開催都市である函館市の一般公募による参加者、およそ20名が集合場所である「街角NEW CULTURE」に集まった。この施設は函館市電の十字街電停の近くに位置しており、昭和7(1932)年に建造された鉄筋コンクリート造の海産商の店舗である。しかし、平成17(2005)年頃からは空き家となっており、その施設を函館市内に設計事務所を構える建築家の富樫雅行氏が購入。チャレンジショップやオフィスなどが入居する複合施設「街角NEW CULTURE」として再生させている。ここでは富樫雅行氏より函館のリノベーションについてレクチャーをいただいた。
富樫雅行氏はこの街角NEW CULTUREを含め、古民家リノベーション22件に携わっており、現在も3件のリノベーションに携わっている。また、古い街並みに眠る魅力溢れる空き家(箱)をバル街のようにハシゴ再生する、不動産の新しい形をコンセプトとした「箱バル不動産」を平成27(2015)年に立ち上げ、地域外の方へ函館で暮らすイメージを沸かせる「函館移住計画」をつくり、あわせて移住のモニター体験を行う等の取組みも行っているとのこと。
参加者との意見交換では「建物を残すうえで向き合うこと」について話題があったが、富樫氏は「コスト面が一番大事。特に雨漏りがあるかどうか。修繕費用が嵩む場合には解体も選択肢に入ってくる。」と語った。また、「コスト面において、税制優遇等は無いのか」との話もあったが、「重要伝統的建造物群保存地区のエリアに含まれれば優遇あるが、エリア外だと何もない状況」と語った。私自身、古い建物を残す上でのコスト面の難しさを痛感した。
<日本最古のコンクリート電柱>
レクチャー後、実際に西部地区を歩きながら、歴史的建造物・リノベーション利活用物件を巡った。まずは日本最古のコンクリート電柱である。見た目は古びた角柱であるが、大正12(1923)年、旧北海道拓殖銀行が資金提供し、函館水電会社(現北海道電力)が特別に建てたものである。函館のまちは大規模な火災に何度も見舞われており、大正10年(1921)年にも大火があり、この頃から耐火建築が増え始めた。当時は木柱が普通であった電柱が耐火のためにコンクリートでつくられたのである。目の前にある旧北海道拓殖銀行函館支店が鉄筋コンクリート造で新築され、建物との一体感をもたせるために建てられたとのこと。この電柱は今でも現役で使われており、隣にある昭和期に作られたコンクリート電柱と見比べてもきれいな状態となっている。大正12(1923)年ではコンクリート強度の基準は定められていないが、相当丁寧につくられたのではないか、という解説があった。
<大三坂ビルジング>
続いて向かったのは大三坂ビルジングである。大正10(1921)年に生命保険会社の店舗として建てられたビルをリノベーションし、平成29(2017)年12月に「大三坂ビルヂング」と名を改めオープンした。地域の拠点となり、函館の内と外とを繋ぐ新たな「場」を目指し、飲食店、オフィス、ショップ、宿泊施設などで構成されている。
<東本願寺函館別院>
続いては国の重要文化財となっている東本願寺函館別院である。当院は明治40(1907)年の大火で焼失。火災後の再建にあたって耐火建築として当時最新技術であったコンクリート造りが採用され、大正4(1915)年に本堂と境内の付属建築物が建てられた。これらは日本における最初期の鉄筋コンクリート造の寺院建築として、平成19(2007)年に国の重要文化財に指定された。建築から100年以上経過し、現在は耐震補強を含む大規模な保存修理が行われている。(なお、建物内は撮影禁止となっている。)
今回のツアーでは特別に小屋組みが鉄筋で組まれた屋根裏を見学させていただき、この寺の本質を知ることができた。
<銀座通り 防火建築帯建物群>
その後、銀座通りへ移動し、防火建築帯の建物群を巡った。解説は、銀座通りの戦前期防火帯建築の保存活用を卒業論文のテーマとして発表している金子悠氏(somehow architects)。銀座通りはベイエリアと津軽海峡を結ぶ通りであり、大正期~昭和初期には東京以北で最も栄えた繁華街として知られた場所である。この銀座通りには大正10(1921)年に発生した大火をきっかけに防火建築帯が66棟建てられ、今も13棟が現存している。まとまって歴史的建造物が残る銀座通りだが、重要伝統的建造物群保存地区に指定されていないため、補助金等の援助はない。これらの防火建築帯は複合施設として使われているものもあるが、約半数が空き家となっており、今後どう残せるかが課題となっている。
<コルツ(昼食)>
防火建築帯を巡った後は、昼食会場であるコルツへ移動した。こちらは函館の名店イタリアンレストランであり、普段も予約で満席となる人気店とのこと。もともと市内の別の所に構えていたが、今年リノベーションした古い建物に移転。店内の雰囲気も良く、食事も非常に美味しかった。ここでも昼食をいただきながら参加者同士の活発な意見交換が行われた。
<元町配水場>
昼食後は元町配水場へ向かった。こちらは函館水道発祥の地であり、明治22(1889)年に完成した、日本で二番目の近代水道である。ちなみに、一番目は横浜市野毛の配水場である。もともと設計は函館の方が早く完成していたものの、またしても大火により工事が遅延。横浜の方が早く完成した。元町配水場には創設当時の赤レンガ造りの番人詰所が管理事務所として使用されているほか、明治22年に作られた配水池が120年以上の歳月を経過した現在も、日本最古の配水池として現役で使用されている。解説・案内には函館市企業局上下水道部管路整備室の職員の方が参加し、実際に配水池内部を見学することができた。(配水池内部は撮影禁止となっている。)
<ディスカッション>
最後は函館まちづくりセンターへ移動し、参加者同士で「歴史的な建築物の利活用方法や古い建物を残す上での課題」について意見交換した。
意見交換のなかでは
・建築基準法など、今の法令とのハードルをどうクリアしていくか
・建物所有者も悩みは大きく、残し方のパターンを複数考えることが重要
・コスト負担をどう軽減できるか(公的資金の投入など)
・都市ビジョンへ位置づけると実効性が高まる
・市民目線で、どこまで価値を設定できるか
など、幅広い意見が飛び交い、非常に有意義な意見交換ができたところで、本分科会は終了となった。
今回の分科会を通じて、函館でも様々な歴史的建造物の利活用事例を見ることができ、函館の歴史に触れることができた。また、残していくうえでの課題は5都市に共通するものもあり、継続的な5都市の情報交換が課題解決の一助になると実感した。今後の函館の取組にもぜひ注目したい。
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