日本最初の洋式灯台である観音埼灯台の起工日が、明治元年(1868)年の新暦で11月1日(旧暦では8月30日)であることにちなみ、昭和24(1949)年に海上保安庁により制定された。
この日は、各地の参観灯台への参観が全て無料で開放され、社団法人日本燈光会や各地の海上保安部などで記念行事が行われる。普段は公開されていない灯台が、この前後に特別公開され内部に入れる場合もある。
また、灯台周辺の観光協会などでも各種のイベントが行われ、地元の名産品の即売会などが行われることが多い。
THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWAでは、この「灯台記念日」あわせて、神奈川県内の歴史歴な灯台や関連遺構を紹介する。
歴史的灯台
灯台は、船舶交通の安全を支える重要なインフラ施設であるばかりでなく、我が国の近代史を知る上で重要な文化遺産である。神奈川・横浜は明治期のお雇い外国人技師であるJ.H.ブラントンが来日後の明治2(1869)年に灯台事業を担う役所として「燈明台局」を、更に、明治7(1874)年には「燈明番(いわゆる灯台守)」の教育及び建設する灯台の試験調整を行うための「洋式試験灯台」を設置した、いわば灯台発祥の地であると言える。
近年、光波灯台から電波灯台へ切り替えが進められ、その役割を終え廃止・撤去されることもある中、補助信号へと切り替えることなどによって保存するなどの取組も見られた。
最近では、これら灯台を観光スポット的にめぐるのを趣味とする女性、いわゆる「灯台女子」も増え、さらに灯台の保存や活用に注目が集まっている。
1 観音崎灯台
所 在 地:横須賀市鴨居
構造・規模:鉄筋コンクリート造
(灯塔)白色八角筒形・塔頂高19 m (附属舎)平屋建
建 造 年:大正14(1925)年
設計・施工:(設計・施工)逓信省航路標識管理所
指定・認定:
2 湘南港灯台
所 在 地:藤沢市江ノ島
構造・規模:鉄造・白色円筒形・塔頂高18 m
建 造 年:昭和39(1964)年
設計・施工:(設計)(施工)
指定・認定:
3 旧横浜外防波堤北灯台及び南灯台
所 在 地:(北灯台)横浜市鶴見区大黒ふ頭地先(南灯台)横浜市中区本牧ふ頭地先
構造・規模:鉄筋コンクリート造
(北灯台灯塔)赤色・円筒形・外径3.6m・塔頂高24.0m(付属舎)2階建
(南灯台灯塔)白色・円筒形・外径3.6m・塔頂高24.0m(付属舎)2階建
建 造 年:昭和10(1935)年
設計・施工:(設計)逓信省灯台局(施工)内務省横浜土木出張所
指定・認定:横浜市認定歴史的建造物
4 横浜北水堤灯台
所 在 地:横浜市(横浜港)
構造・規模:鉄造・赤色・六角形・塔頂高11.5 m
建 造 年:明治29(1896)年
設計・施工:(設計)H.S.パーマー(施工)
指定・認定:
5 旧横浜東水堤灯台
所 在 地:横浜市中区山下町山下公園地先
構造・規模:鉄造・赤色・六角形・頂部まで11.5 m
建 造 年:明治29(1896)年
設計・施工:(設計)H.S.パーマー(施工)
6 横浜マリンタワー(旧横浜展望台燈台)
所 在 地:横浜市中区山下町
構造・規模:(塔体部)鉄骨造33階建鉄造・塔頂高106 m
(低層部)鉄骨鉄筋コンクリート造4階建
建 造 年:昭和36(1961)年
設計・施工:(設計・施工)清水建設
*平成20(2008)年9月1日灯台廃止
7 城ヶ島灯台
所 在 地:三浦市三崎町城ヶ島
構造・規模:鉄筋コンクリート造
(灯塔)白色円筒形・頂部まで9.1 m
建 造 年:大正15(1926)年
設計・施工:(設計)逓信省航路標識管理所
指定・認定:
8 劔崎灯台
所 在 地:三浦市南下浦町松輪
構造・規模:鉄筋コンクリート造
(灯塔)白色八角塔形・頂部まで16.9m (付属舎)平屋建
建 造 年:大正14(1925)年
設計・施工:(設計・施工)逓信省航路標識管理所
指定・認定:
9 横浜市役所遺構郡
横浜市役所の敷地内には、横浜市役所建設時に発掘された「航路標識管理所(旧灯台寮)倉庫基礎(明治中期)」や「煉瓦造導水管」、文久2(1862)年頃の「大岡川石積み護岸」が復元展示されている。
これらはいずれも、平成27(2015)年に同地で実施された発掘調査で出土したもので、外部専門家による検討会を経て、外構計画の一部に盛り込まれ展示されているものである。
倉庫基礎と煉瓦造導水管の展示位置は横浜市役所の地下構造物との関係から移設されているが、発掘時の位置には舗装のパターンを変えたフットプリントとプレートがつけられている。
航路標識管理所(旧灯台寮)倉庫基礎
煉瓦造導水管
フットプリント
10 旧灯台寮護岸
北仲通北地区では大岡川河口や海に面している部分には石積み護岸が復元されている。そのうち、突堤のように張り出している部分は護岸はブラントン の設計により明治6(1873)年に築造されたと推定されている布積護岸(17.0m)と明治30(1897)年築造の谷積護岸(59.7m)で構成されており、横浜市認定歴史的建造物として認定されている。
11 灯台発祥の地記念碑
平成5(1992)年の第三管区海上保安本部庁舎移転後、しばらく灯台発祥の地は空き地となっていたが、平成15(2003)年に民間へ売却、平成24(2012)年に特定都市再生緊急整備地域として指定され、この場所が再開発事業の中で公園(北仲通北第一公園)となるあたり海上保安庁第三管区海上保安本部により公園内に記念碑が設置された。
記念碑には、試験灯台
を初めてとして、旧灯台寮の由来などが記されおり、側には試験灯台レンガ基礎(4個・実物)が展示されている。また、公園内の階段・スロープの踊場部分にあたる広場は、試験灯台のあった場所を示すように八角形をしている。
12 横浜公園リチャード・ヘンリー・ブラントン像
「日本の灯台の父」と称されるリチャード・ヘンリー・ブラントン (Richard Henry Brunton)の胸像。製作者は戦後の抽象彫刻をリードした第一人者で東京スカイツリーのデザイン監修なども行った澄川喜一。
ブラントンは1841年12月26日、スコットランド、アバディーンシャー州キンカーデン郡に生まれた。鉄道会社の技術助手として鉄道工事に関わっていたところ、英国商務省とスティーヴンソン事務所を介した日本政府の灯台建設技術者募集に応募し、慶応4(1868)年2月24日に技師長に採用され、3か月間にわたり灯台建設関連技術の研修を受けた後、慶応4(1868)年8月、妻子と技師補2人(マクヴェインとブランデル)を伴って来日した。当時26歳。勤務していた7年6か月の間に灯台26、灯竿5、灯船2などを設計した。
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