港町横浜を舞台として、神奈川県警港警察署捜査課の刑事コンビ、タカこと鷹山敏樹(舘ひろし)とユージこと大下勇次(柴田恭兵)の破天荒な活躍を描いた「あぶない刑事」の最新映画「帰ってきたあぶない刑事」が令和6(2024)年5月24日から公開された。
「あぶない刑事」は昭和61(1986)年に最初のテレビシリーズがスタートし、その後も続編のテレビシリーズや映画などが断続的につくられてきた。その中で横浜の魅力的な場所や建物が映し出されできている。
ここでは「あぶない刑事」の映画でロケ地となった歴史的建造物の一部を紹介する。
日本大通り
所在地 横浜市中区日本大通
建築年代 明治10(1877)年までに完成
設計・施工 (設計)JHブラントン
指定・認定 国登録記念物(名勝地)
日本大通りは、慶応2(1866)年の大火後、居留地の街区建設、横浜公園の造成、運河(堀川)の浚渫及び拡幅などとともに、東の外国人居留地と西の日本人街を隔てる防火道路として整備された。大正12(1923)年の関東大震災を契機として、車道が22mに拡幅されるとともに、車道の左右には68本のイチョウが植えられ、今日見る並木の街路景観の原形が形成された。平成14(2002)年には、歩道を拡幅するけど再整備が行われ、現在の姿となっている。
「あぶない刑事」では、最初のテレビシリーズからたびたび登場。平成14(2002)年のリニューアル工事前や工事中の日本大通りの様子が確認できる。レパードなど車両がUターンをするシーンが有名。
横浜赤レンガ倉庫(旧横浜税関新港埠頭倉庫)
所在地 横浜市中区新港1丁目
指定・認定 横浜市認定歴史的建造物
改修設計者:新居千秋都市建築設計
改修施工者:竹中工務店
[1号倉庫]
建築年代 大正2(1913)年
設計・施工 (設計)大蔵省臨時建築部(妻木頼黄)(施工)原木仙之助
[2号倉庫]
建築年代 明治44(1911)年
設計・施工 (設計)大蔵省臨時建築部(施工)直営
赤レンガ倉庫は、創建当時から横浜港の物流拠点「横浜税関新港埠頭倉庫」として活躍してきたが、新港ふ頭が物流機能を他のふ頭に譲っていく中、赤レンガ倉庫の取扱貨物量は減り続け、平成元(1989)年、倉庫としての用途は廃止された。
横浜市は、市民に親しまれてきたこの赤レンガ倉庫を、貴重な歴史的資産として保存し、また市民の身近な賑わい施設として活用するため、平成4(1992)年3月に国から取得、建物補強のための工事を行い、横浜らしい文化を創出し、市民が憩い・賑わう空間として平成14(2002)年リニューアルオープンした。
最初のテレビシリーズのエンディングでタカとユージが走るシーンが有名。映画でも何度か登場し、初期の作品では、まだ商業・文化施設としてリニューアルする前の姿を見ることができる。
山手公園管理事務所(旧山手68番館)
所在地 横浜市中区山手町230(山手公園内)
設計・施工 不詳
建築年代 昭和9(1934)年[昭和61(1986)年移築]
指定・認定 横浜市登録歴史的建造物
山手公園管理事務所(旧山手68番館)、児童養護施設の聖母愛児園敷地内に建っていた昭和9(1934)年に建てられた外国人向け賃貸住宅で、昭和61(1986)年に山手公園にその一部か移築された。現在は、山手公園管理センターとして利用されている。
映画「またまたあぶない刑事」では、園児がバスごと誘拐される聖ミカエル幼稚園の園舎として登場。
ベーリック・ホール
所在地 横浜市中区山手町72(元町公園内)
設計・施工 (設計)J・H・モーガン
建築年代 昭和5(1930)年
指定・認定 横浜市認定歴史的建造物
ベーリック・ホールはイギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に建築された。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄贈され、その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた。
設計は山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場一等馬見所を手がけたアメリカ人建築家J.H.モーガン。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、クワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など、多彩な装飾が施されている。
平成13(2001)年に横浜市は、建物の所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄贈を受け、復原・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から、建物と庭園を一般公開している。
映画「またまたあぶない刑事」で、犯人が潜伏するホテルセラーヌとして登場。犯人との銃撃戦となるが、そのシーンではセントジョセフインターナショナルスクールの寮であった時代の痕跡だった改修前の2階の洗面台が映り込んでいる。
横浜海洋会館ビル(旧大倉商事横浜出張所)
所在地 横浜市中区海岸通1-1
設計・施工 大倉土木
建築年代 昭和5(1930)年
指定・認定 横浜市登録歴史的建造物
横浜海洋会館ビルは大倉商事横浜出張所として昭和4(1929)年に建設された。
空襲により野毛山の横浜支部会館を焼失した海洋会場は昭和26(1951)年より新会館開設のための基金の募集を開始し、昭和33(1958)までに旧会館の敷地の売却代金などを含め990万円の基金を集めた。財団法人日本船員福利協会と共同で大倉商事ビルを購入し昭和34(1959)年開館披露を行った。映画「またまたあぶない刑事」で犯人のアジトとして登場。
横浜税関本関
所在地 横浜市中区海岸通1-1
設計・施工 (設計)大蔵省営繕管財局工務部(施工)戸田組
建築年代 昭和9(1934)年
指定・認定 横浜市認定歴史的建造物
横浜税関本関は、大正12年(1923年)の関東大震災で既存庁舎が倒壊焼失し、復興事業の一環として昭和9(1934)年に再建された。イスラム風の塔や連続アーチなどの優雅なたたずまいから「クイーンの塔」の愛称で長年親しまれてきた。平成15(2003)年に改修・増築。
改修・増築にあたっては、都市景観への配慮から街路に面する建物の3方はそのまま保存・活用し、外観の改変を最小限にとどめている。
映画「もっともあぶない刑事」で神奈川県警本部として登場。室内や階段周りなど改修前の内部の様子を確認できる。
日本郵船横浜ビル
所在地 横浜市中区海岸通3-9
設計・施工 (設計)和田順顕(施工)大林組
建築年代 昭和11(1936)
明治21年(1888)に竣工したイギリス人建築家J.ダイアック設計による赤レンガ造りの初代ビルが関東大震災によって崩れた為、2代目横浜支店ビルとして建築された。16本のコリント式列柱が並ぶファサードはパルテノン神殿を思わせる。
平成15(2003)年の大規模改修では、建物外観の保存により街並との調和を保ちながら地域の活性化に寄与した事なども評価され、第15回BELCA賞(ベストリフォーム部門)を受賞している。
映画「あぶない刑事リターンズ」では、銀行に潜む犯人の仲間を特定するため、銀行強盗に扮したタカとユージが潜入する場面で登場。
日本郵船氷川丸
所在地 横浜市中区山下町山下公園地先
設計・施工 横浜船渠株式会社
内装設計 マルク・シモン社
建築年代 昭和5年(1930)
指定・認定 国指定重要文化財(美術品)
氷川丸は、昭和5(1930)年に横浜船渠株式会社にて竣工した貨客船で、主として戦前、戦後期はシアトル定期航路に就航し、戦中期は海軍特設病院船、終戦直後は復員船、引揚船等として使用された。昭和35(1960)年、現役を引退し、宿泊・観光に供するための改装工事が施され、保存船として山下公園前に係留された。船室の内装は、1等社交室、同食堂、同食堂前主階段、同喫煙室、子供室及び読書室が当時のフランスを代表する船内内装設計者であるマルク・シモン社の設計になる。これらの部屋は、一部に改変のあとがあるものの総じて当初の内装をとどめる。アールデコ様式が我が国に直輸入された最初の建築意匠といえ、客船の内装史上では、クラシックやアールヌーヴォーからアールデコに推移する最初期に位置するもので、建築史上、工芸技術史上に貴重である。
係望されている山下公園と合わせてTVシリーズに何度も登場する横浜のシンボル。映画「あぶない刑事フォーエヴァー THE MOVIE」ではタカとユージが制御不能となった巨大タンカーを止めるべく、飛び移った氷川丸から両手で押し返す場面で登場。
代官隧道(代官坂トンネル)
所在地 横浜市中区元町 - 上野町
設計・施工 横浜市
建築年代 昭和7(1932)年
横浜市の失業対策事業として昭和7(1932)年竣工。坑門が石張りで装飾されており、翼壁と一体となって重厚な景観を形成している。
映画「もっともあぶない刑事」で犯人護送中の車両をタカとユージが奪うシーンで登場。
道幅が狭く交互通行となっているこのトンネルはテレビシリーズでもたびたび登場。
横浜指路教会
所在地 横浜市中区尾上町6-85
設計・施工 竹中工務店
建築年代 大正15(1926)年
指定・認定 横浜市認定歴史的建造物
先代の協会堂が関東大震災により倒壊。震災後の大正15(1926)年に再建された。ゴシック調建築で、シンボリックな鐘塔をそなえ、正面入口の尖頭アーチ、列柱、バラ窓などの意匠が特徴。
映画「さらばあぶない刑事」では、神奈川県警重要物保管所として登場。
野毛都橋商店街ビル
所在地 横浜市中区宮川町一丁目8番地先 横浜市中区野毛町一丁目22番地1先 に跨る
設計・施工 [設計]創和建築設計事務所(吉原慎一郎)[施工]小俣組
建築年代 昭和39(1964)年
指定・認定 横浜市登録歴史的建造物
野毛都橋商店街ビルは、昭和39(1964)年の東京オリンピックを契機として野毛周辺などの路上で営業していた露店等を収容するため、同年に建設された共同店舗。大岡川に張り出すように湾曲して建築されており、その形状から「ハーモニカ横丁」とも呼ばれる。現在飲食店を中心に60店舗が営業しており人気スポットとなっている。
映画「さらばあぶない刑事」では、野毛都橋商店街ビルから大岡川に停泊している船に飛び降りて逃走する人物をユージが走って追いかけるというシーンで登場。
THE BAYS(旧日本綿花横浜支店事務所棟)
所在地 横浜市中区日本大通34
設計・施工 (設計)渡辺節(施工)佐伯組
建築年代 昭和3(1928)年
指定・認定 横浜市指定有形文化財
昭和3(1928)年、日本綿花横浜支店として建築。この建物は戦後は米軍に接収され、兵站司令部として使用された。接収解除後、昭和29(1954)年からは国の所有となり、昭和35(1960)年から大蔵省関東財務局横浜財務部、同59(1984)年からは同省横浜財務事務所として使用された。平成18(2006)年からは横浜市の施設「ZAIM」として、クリエーターオフィスとして暫定活用。現在は横浜DeNAベイスターズが運営する「スポーツ×クリエイティブをコンセプトとした複合施設『THE BAYS』となっている。外壁のスクラッチタイル、玄関周りと建物最上部のコーニスに装飾が特徴。
映画「帰ってきたあぶない刑事」ではタカとユージが横浜に戻ってか構えた探偵事務所の外観と屋上シーンを撮影。駐車場では彩夏(土屋太鳳)がハーレーの手入れをしたり、屋上では3人で夕食を楽しむシーンなどが観られる。
ホテルニューグランド本館
所在地 横浜市中区山下町10
設計・施工 (設計)渡辺仁(施工)清水組
建築年代 昭和2(1927)年
指定・認定 横浜市認定歴史的建造物
震災復興により整備された山下公園の向かいに建つ、ホテルニューグランド。横浜市復興会にて決議された「外国人ホテル建設の件」を端緒にしたホテル建設計画の下、横浜市と民間で共同して整備され、昭和2(1927)年に開業した。設計は服部時計店(現:銀座和光)の設計者としても著名な渡辺仁だが、横浜市建築課も関与しているそうだ。歴史的価値等が評価され、平成19(2007)年には経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。構造は鉄骨鉄筋コンクリート造を採用することで、地震に強い造りとするだけでなく、角を湾曲させ窓を設けることも可能となっている。表層は軒下に歯のように並んだデンティルモール、角に設けられたメダリオンなど随所にアール・デコ様式の特徴が見られる。平成26(2014)年、平成28(2016)年には、漆喰天井等の装飾を細部に至るまで計測し図面化した上で、内部の耐震改修工事が行なっている。
映画「帰ってきたあぶない刑事」では、海道(深海元基)が横浜新カジノ構想を発表し、賛同者を集めるパーティの会場(新館)として登場。
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