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【コラム】近代別荘地として発展した湘南地域と「湘南邸園文化祭」【THE HERITAGETIMES YOKOHAMA KANAGAWA】


旧本多邸


海辺の街として、海水浴やSUP、サーフィン等のレジャー客で賑わう神奈川県の相模湾一帯は、明治以降の近代別荘地として発展してきた歴史を持つ。中でも、大磯、茅ケ崎、藤沢、鎌倉、逗子、葉山は所謂湘南地域(湘南の範囲については諸説あり)として、皇室や華族を中心とした多くの要人、文化人が別荘を構えてきた。こうした地域が別荘地として発展してきた背景には、①健康増進としての海水浴と結核療養②鉄道の開通③御用邸の開設が大きく関係している。


南湖院


①について、欧米から明治初頭に伝わった「海水浴」とは、今のように海で泳ぐのではなく、海水に浸かることで健康増進効果を得る、一種の医療行為であった。初代陸軍軍医総監であった医師の松本順がオランダ人医師から学んだ「海水浴」の適地として、大磯に「海水浴場」(これより以前に横浜の富岡では居留外国人たちを中心とした「海水浴場)が開設されていた。)を開設したことに始まり、湘南地域への「海水浴」需要が高まる。

これに加え、当時結核治療で有効と考えられていた「海気療法(海辺の清浄な空気を用いた治療法)」と呼ばれる治療法の適地としても湘南地域が注目され、内務省初代衛生局長であった医師の長与専斎の尽力で、明治20(1887)年には鎌倉にサナトリウム(結核療養施設)「鎌倉海濱院」(後に「海濱ホテル」となり、昭和21(1946)年に焼失)が開設される。その後も多くのサナトリウムが建設され、現在の地域医療拠点である病院や医療機関に繋がったものもある。茅ケ崎市南湖にある「南湖院記念 太陽の郷庭園」は、かつて東洋最大のサナトリウムとも言われた「南湖院」の跡地であり、敷地内には旧南湖院第一病舎(国登録有形文化財)が現存している。


江ノ電


JR横須賀駅


②について、明治22(1889)年には、大船-横須賀間に横須賀線が開通、明治35(1902)年には、藤沢-片瀬間に江ノ電が開通、明治43(1910)年には小町(鎌倉)まで延伸し、湘南地域の交通利便性は一気に高まる。


旧山本条太郎邸


③について、明治27(1894)年には葉山御用邸(現在の本邸は昭和56(1981)年)が、明治32(1889)年に鎌倉御用邸(昭和6(1931)年廃止 ※門のみ御成小学校前に現存)が造営されたことで、別荘地として湘南地域の人気が高まり、多くの皇族・華族の別荘が建設されていく。



こうした湘南地域の別荘建築は、戦後、華族制度廃止や宅地開発の圧力、相続、維持管理等の課題から次々に消失している。この課題に対して、神奈川県が中心となり平成16(2004)年から、別荘等の「邸宅」とその「庭園」の保全活用を目的とした「邸園文化再生構想」を立ち上げる。「邸園」を、所有者、住民、行政の協働により、新たな文化発信や地域住民と来訪者による多交流の場としていくことを目的とした活動を展開した。活動の柱として、邸園(歴史的建造物)を保全活用していく専門家「邸園保全活用推進員(ヘリテージマネージャー)」の養成(令和4(2022)年から神奈川県建築士会とかながわヘリテイジマネージャー協会の共催で実施)、各地に残る旧邸宅を文化・芸術活動と合わせて公開する「湘南邸園文化祭」等がある。中でも「湘南邸園文化祭」は令和6年で19回目の開催を迎えており、通常非公開の歴史的建造物の見学や地域の歴史文化に触れることのできる企画が数多く開催されている。今年は(株)久米設計により再生された逗子の「旧本多邸」(通常非公開)等も公開されるそうなので、この機会に是非訪ねてみてはいかがだろうか。


<参考>


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