top of page

[コラム]生糸貿易が支えた港町横浜の発展 - 郊外部編


長屋門公園 旧大岡家長屋門(横浜市認定歴史的建造物)


安政6(1859)年の横浜開港を契機に、それまで小さな村だった横浜は国内外の人々が集う、貿易港として発展してきた。街が発展してきた背景には、全国各地から横浜に集められた生糸の輸出がある。大正12(1923)年に発生した関東大震災以前では、国内の生糸貿易は横浜港を中心に行われ、そこから生み出された利益は、まちづくりの財源となってきたのである。


このコラムでは前回の「関内・山手地区編」に続き、郊外部に現存する生糸貿易と所縁のある施設について紹介する。横浜市の郊外部、特に瀬谷区や泉区は、生糸の中継地として栄えた八王子へと続く大山街道(八王子道)が通っていたことから、養蚕・製糸の歴史が色濃く残る地域である。「郊外部編」では、養蚕・製糸や養蚕信仰に関連した農村部の歴史文化を中心に紹介していきたい。


1 - 旧川口製糸(本郷館)門柱


相鉄線瀬谷駅から海軍道路を北上し、県道401号線を進む。瀬谷図書館を過ぎた先の本郷地区には、かつて「本郷館」(川口製糸場)と呼ばれた製糸場が存在していた。最盛期には200名以上の従業員を抱え、従業員の寄宿舎のほか、教養を学ぶための学校やスポーツ施設等も併設していたそうだ。本郷のバス停から本郷公園に至る旧道沿いには、製糸場の門柱が現存している。


旧川口製糸(本郷館)門柱


2 - 瀬谷銀行跡


明治後半に入ると、瀬谷区の前身である鎌倉郡瀬谷村内には製糸場が建設され、地域の養蚕業も活発になっていく。こうした地域産業を後押ししていくため、明治40(1907)年には、村役であった小島政五郎が中心となり地域金融機関である「瀬谷銀行」が開業された。相鉄線瀬谷駅からバスに乗り、中屋敷のバス停から川沿いの小径を歩いていくと、今も現地では瀬谷銀行の門を見ることができる。

なお、近隣にはかつて養蚕もやっていた農家の屋敷を活用した[歴飯_175]古民家Cafe×Beer 花やしきがあるので、合わせて利用してみてはいかがだろうか。


瀬谷銀行跡


3 - 長天寺の養蚕童子


相鉄線瀬谷駅から県道401号線を三ツ境方面に向かう、横浜を代表する急坂で有名な「天竺坂」の手前に「臨済宗相澤山長天寺」はある。その歴史は古く応永元(1394)年まで遡り、明治期には客殿に瀬谷村の役場が設置された歴史を持つ。境内にある達磨大師堂は、蚕の繭を入れた籠を両手に持つ「養蚕童子」の像が祀られ(貴重な像のため、現在は写真を展示)ており、養蚕信仰の拠点であった。


長天寺の養蚕童子


4 - 長屋門公園


旧大岡家長屋門[横浜市認定歴史的建造物]


長屋門公園は、かつて製糸場を経営した大岡家の長屋門とその敷地を整備した公園である。主屋は消失していたが、公園整備にあたり泉区和泉町にあった旧安西家のものを移築復元した。明治17(1884)年頃に建てられた長屋門の2階ではかつて養蚕が行われていたそうで、内部には養蚕に関連した道具類が展示されている。園内ではお月見や餅つき、ひな祭りなど季節に合わせたイベントが開催されているほか、移動スーパーや映画の上映会なども行なわれており、地域の拠り所になっている。


長屋門内の養蚕道具


5 - 天王森泉館


旧清水製糸場本館[横浜市認定歴史的建造物]


明治44(1911)年に建てられた清水製糸場本館の一部で後に住宅として使用されていた建物を平成9(1997)年に天王森泉公園の整備に合わせて、近隣から移築復元した施設である。清水製糸場は、最盛期には県下で5番目の規模を誇る大規模な施設であった。市内に遺る数少ない製糸場の遺構として貴重な施設となっている。公園には、和泉川沿いの斜面緑地、崖線からの湧水を利用した山葵田等が整備されており、農村の原風景に触れることができるので、合わせて散策してみてはいかがだろうか。


 天王森泉館(横浜市認定歴史的建造物)


【参考】

  • 『横浜瀬谷の歴史 瀬谷区制30周年記念出版』「横浜瀬谷の歴史」編集委員会編/横浜市瀬谷区役所地域振興課 2000年

  • 天王森泉公園公式ホームページ

  • 長屋門公園公式ホームページ

閲覧数:19回0件のコメント

Comments


bottom of page