かつて「焼き物」が横浜発展の一端となってきた歴史はあまり知られていない。明治〜昭和初期にかけ横浜港から世界へ輸出された「焼き物」は、外貨獲得の役割を担っていた。横浜で作陶した陶芸家の一人、三代目井上良斎は大正3(1914)年〜戦後にかけ活躍した陶芸家で、「神奈川焼」と呼ばれた作品で知られる。当初は西区高島町近くに拠点を構えたが、関東大震災を機に、南区永田東に移転、この時斜面を利用して造られた「登り窯」(横浜市登録歴史的建造物)と工房が今も現地に保存されている。
23日(土)の午後から開幕する「開港5都市景観まちづくり会議2024横浜大会」の開催に合わせて、通常非公開となっている「登り窯」や永田の自然景観が残る敷地が公開された。「登り窯」は良斎の孫にあたる川井興一 氏が平成12(2000)年に「登り窯と永田の自然を守る会」を設立し、四半世紀に渡り保全活用を行ってきた。令和5(2023)年には、その支援団体となる「登り窯まるごと整備プロジェクト」(代表:堀木一男 氏)が地域住民や学校コーディネーター等の有志により発足、春と秋の一般公開や敷地内の除草等を行っている。
今回の特別公開では、登り窯まるごと整備プロジェクト代表の堀木氏より古地図や古写真を用いて同地から横浜港への「焼き物」が輸送されたルートや団体の活動等も紹介された。また、良斎が手掛けた作品も展示され、興味深げに見学していく参加者も多かった。会場では区内で採れた野草を使った野草茶も振舞われ、ゆったりとした心地の良い時間が流れていた。
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