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[開港5都市]景観まちづくり会議2024横浜大会 - 07 第5分科会 「鎌倉時代から続く横浜金沢の景観まちづくりと郊外観光の可能性」

更新日:44 分前



令和6(2024)年11月24日(土)、「開港5都市景観まちづくり会議2024横浜大会」2日目の朝は、5つの分科会に分かれるエクスカーションで始まる。

分科会1「吉田新田から始まった横浜の発展!運河を生かしたまちづくり」、分科会2「開港期の横浜商人の街・関内を探り、未来を考える」、分科会3「ブラ山手~異国情緒の秘訣は”人”にあり~」、分科会4「大規模災害に負けない!開港5都市だからできる連携の未来を考える」、分科会5 「鎌倉時代から続く横浜金沢の景観まちづくりと郊外観光の可能性」。[THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA]は分科会5を実行委員会のメンバーとして運営した。



分科会5のテーマは 「鎌倉時代から続く横浜金沢の景観まちづくりと郊外観光の可能性」。横浜の中心部から30分ほど電車で南下した金沢エリアは鎌倉時代から続く海辺の景勝地。そこに点在する歴史的建造物、歴史的景観を訪ねて、郊外観光の可能性について意見交換する。

当日、天気は晴天。集合場所の金沢八景駅には、各都市からの参加者13名と横浜市が公募した一般枠に申し込んだ参加者1名の計14名がピッタリと集合時間前に集合。順調なスタートとなった。


金沢八景権現山公園・旧円通寺客殿


最初に訪れたのは令和4(2022)年に開園した「金沢八景権現山公園」。まずは、この公園の指定管理者である公益財団法人横浜市緑の協会の河西園長から解説を受ける。

金沢八景権現山公園は、横浜市金沢区の京浜急行「金沢八景」駅の駅前に位置する風致公園。東照宮とその別当寺であった円通寺の境内の跡地に整備された。 園内にある茅葺屋根の「旧円通寺客殿(旧木村家住宅)」は、横浜市の特定景観形成歴史的建造物に指定されており、隣接する横浜市指定天然記念物である樹林地とともに、江戸時代の金沢八景の情景を今に伝えている。公園名の由来である権現山の園内頂上からは平潟湾が望め、公園の西側にある展望広場からは園内と市街地が一望できるのが特徴となっている。さらに園内には、サクラのほか、ウメやモミジなどの花木が植えられ、四季折々の風景が楽しめる。



続いて、2班に分かれて、園地と「旧円通寺客殿(旧木村家住宅)」を見学。「旧円通寺客殿(旧木村家住宅)」は嶋田知子氏の解説。

江戸時代の万治年間(1658~1661)に、金沢の代官である八木次郎右衛門によって、東照宮が創建され、同じころ東照宮を管理する別当寺として円通寺も建てられたと推定される。その後、江戸時代後期に東照宮を詣でる人をもてなすため、境内に円通寺客殿が建築された。 慶応4(1868)年、神仏分離令により円通寺が廃寺となってからは、円通寺の最後の僧侶であった木村芳臣氏が還俗し、客殿を住居として使用した。

その後も木村家に住み継がれ、平成9(1997)年に「旧円通寺客殿(木村家住宅主屋)」として横浜市の歴史的建造物に認定され、平成28(2016)年に特定景観形成歴史的建造物に指定された。



草創当時より、大きな間取り変更や増築はほとんど行われず、江戸時代の客殿としての造りが保存されている貴重な建物です。平成31(2019)年から復元工事が行われ、令和4(2022)年4月1日に金沢八景権現山公園の開園と同時に、一般公開された。

式台の玄関から入った先の奥座敷が書院造で最も格式が高く、座敷飾りの違棚、床の間、書院が付く。広間の奥では天井が張られず小屋組や茅葺き屋根が内部から確認できる。

「指定管理者によるイベントだけではなく、近隣の高校や大学の茶道部にお茶会をしてもらうなど、市民団体とも連携して活用をしている。」とのこと。

最後に全員で集合写真を撮り次の目的地、旧伊藤博文金沢別邸に向かう。


野島公園・旧伊藤博文金沢別邸


金沢八景駅からシーサイドラインで隣駅の野島公園へ。

野島公園は横浜市の最南部にある平潟湾の入口に浮かぶ、「野島」という島にある公園。

江戸後期に活躍した、浮世絵師歌川広重によって描かれた、「金沢八景」の中の「野島夕照(のじまのせきしょう)」で有名な地域である。海抜57m の野島山を中心に、展望台、バーベキュー場、キャンプ場、野球場などの施設があり、展望台からは、横浜の海はもちろん、房総半島や富士山を望むことが出来る。野島公園駅から野島橋を渡り、海岸沿いに旧伊藤博文金沢別邸に向かう。


(参考写真)旧伊藤博文金沢別邸(当日の写真ではありません)


旧伊藤博文金沢別邸では、指定管理者である公益財団法人横浜市緑の協会の職員から解説があった。

旧伊藤博文金沢別邸は、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文により、明治31(1898)年に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築。伊藤博文が風光明媚な金沢の地を好んで建てたといわれ、大正天皇や韓国皇太子なども訪れた。

明治時代、富岡などの金沢近辺は、東京近郊の海浜別荘地として注目され、第4・6代内閣総理大臣の松方正義や大蔵大臣・外務大臣等を務めた井上馨、日本画の大家の川合玉堂などが別荘を設けた。その後、大磯や葉山などが別荘地として栄え、金沢はその役割を終えた。旧伊藤博文金沢別邸は、当時の別荘地の数少ない貴重な建築遺構である。

平成18(2006)年11月には、横浜指定有形文化財に指定されたが、建物の老朽化が著しかったことから、平成19(2007)年解体工事・調査を行い、現存しない部分を含め、創建時の姿に復元することになった。


(参考写真)旧伊藤博文金沢別邸(当日の写真ではありません)


平成20(2008)年6月から工事に着手、平成21(2009)年10月に庭園と併せて竣工。

邸内では、伊藤博文に関する資料や調度品などを展示している。また、庭園からは海が一望でき、金沢区の花「ボタン」をはじめ、四季折々の花を楽しむことができるなど、歴史・文化に触れ合う市民の憩いの場として公開している。

「格式の高い客間棟を海側のもっとも眺望の良い位置に張り出して配置している」

「客間等には客用便所があり、本漆塗りの便器が置かれている」

「四季折々、市民ボランティアとも協働し、様々なイベントで皆様をお迎えしている。」など詳細な説明を受けた。


※現在、旧伊藤博文金沢別邸は茅葺き屋根の葺き替え工事中


海の公園 横浜唯一の海水浴場


野島公園から再びシーサイドラインに乗って、海の公園(海の公園柴口)へ向かう。公園内ではチャリティーバザー、マラソン、砂浜を見るとビーチバレー、その先の水面ではウィンドサーフィンと、多くの利用者で賑わっていた。

海の公園管理センターの会議室で昼食をとる。まずは、海の公園の指定管理者・公益財団法人横浜市緑の協会の松岡園長から解説を聞いた。



海の公園は、金沢地先埋立事業の一環として整備され、昭和63(1988)年に開園した、横浜で唯一の海水浴場をもつ公園である。海辺には、約1㎞にわたる砂浜と豊かな緑が広がり、海と人とがふれあえる貴重な憩いの空間となっている。 自然に見える砂浜だが、千葉県から運んだ砂で人工的につくられたものである。春先には、潮干狩りを楽しむことができ、夏の海水浴シーズンとともに、多くの人で賑わう。「イベントも多く、ほぼ毎週イベントが行われている。」とのことであった。



昼食に用意されたのは地元で公共施設等で飲食店を展開している「メルヘン」の弁当。午前中の見学のこと、各都市の状況などを話しながら美味しくいただくことができた。

海の公園からは徒歩で金沢園へ向かう。


金沢園


金沢園では2階の広間でミニレクチャーと意見交換を行った。

まずは、金沢園の美味しいコーヒー・紅茶をいただきながら、金沢園を管理運営している斎田真以子氏の解説を聞いた。

大正5(1916)年に、現在の桜木町に創業した料亭「満月」を前身とし、昭和5(1930)年、現在の地に、料亭と旅館の機能を併せ持つ旗亭「金沢園」として開業。戦前には与謝野晶子が歌会などに使っていたことが知られている。

戦時中は当地にあった海軍航空技術廠支廠の指定旅館となり、今も玄関にその看板がかかる。



現在の建物は東京・品川にあった日本家屋を移築したもの。平成14(2004)年に国有形文化財に登録。先先代の時代には宿泊もできる料亭として、先代は完全予約制の料亭として営業してきた。創業100周年を機に一度、休業するが令和2(2020)年から「カフェ金沢園」として営業を再開した。


ミニレクチャー「地産地消で郊外部の魅力づくり」奥井奈津美氏(アマンダリーナ



次に、本来であれば捨ててしまう青みかん(摘果みかん)を使ってドレッシングなどを作っている奥井奈津美氏のミニレクチャーを受けた。

参加者にお土産として、摘果みかんの皮を使った陳皮をはじめ、唐辛子、シソ、昆布、椎茸は横浜金沢で採れたものを使用した「金澤八景八味唐辛子」と「あおみかんゼリー」が配られた。

「『もったいない』を『おいしい』に」「ストーリーのある商品開発」という意識から始まり「地産地消」へとつながった。

現在は、みかんの皮を精油にして配合した環境にやさしい「よこはまの森洗剤」へと展開。さらにその搾りかすを畑に返すという循環になっている。



ミニレクチャー「歴史的建造物を活用した郊外部の魅力づくり」上村耕平氏(ヘリテイジタイムズ横浜・神奈川)


意見交換の前に上村耕平氏が本日の視察先を振り返り、今後、海の公園に移築される「旧横浜検疫所一号停留所」も併せて、金沢八景から金沢文庫に至るエリアで時代の積層を感じることができることを確認。今回巡った歴史的景観を制度でどのように支えてきたか等を紹介した。最後に、この分科会のメインテーマである郊外部の観光について問題提起が行われた。


意見交換


意見交換では


  • 横浜という大都市の郊外部を見てみたかった。茅葺き屋根の建物が保全されていることが意外であった。

  • 函館では東部の縄文遺跡、神戸では有馬と、郊外部をどう都心部の観光地と繋ぐのかという点が課題であるということ

  • 歴史的建造物がただ保存されているのではなく、公園と一帯で整備し、管理者を置くことで活用しながら保全されているのは良かった。一方で、行政が支えられる歴史的建造物は良いが、個人所有のものをどう支えていくかが課題である

  • 地元のボランティアによって日常的に活用されイベントも行われており、この延長で愛着が育つことが、歴史的建物を守っていくための大切な鍵となる

  • 住宅地の観光は、道が細いとか交通の便がいいとは言えないとか、ガイドがないとわかりづらそうだという課題はありながらも横浜の市民が普通に暮らしていて、公園や施設が生活の一部になっているところが垣間見れてよかった。

  • 今後は「暮らしを見る」「暮らしを知る」という視点も大切で、それこそ、サスティナブルツーリズムを成立させるものではないか


などの意見が出された。

それぞれの意見を共有した後、全員で記念写真を撮り、また徒歩で次の視察先、称名寺へ向かう。




称名寺


称名寺では、金沢区の名所や魅力を多くの人達に伝えるためにボランティアで街を案内する「NPO法人 横濱金澤シティガイド協会」のガイドボランティアに案内をお願いした。

称名寺は金沢北条氏一門の菩提寺。鎌倉幕府の要人・北条実時が六浦荘金沢の屋敷内に建てた持仏堂から発展が起源とされる。実時の孫・貞顕の時代には三重の塔を含む七堂伽藍を完備した大寺院として全盛期を迎えた。



朱塗りの赤門をくぐると桜並木の参道が続き、突き当りには仁王門。

鎌倉時代に造られた高さ4mの大きな仁王像が出迎える。仁王門横の通用門を入ると、阿字ヶ池を中心に中之島・反橋・平橋を配した「浄土庭園」が広がる。

浄土庭園の向こうには、緑豊かな金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)を背に金堂・釈迦堂・鐘楼(称名晩鐘)がある。

イチョウが綺麗に紅葉した境内で記念写真を撮り、称名寺から金沢文庫駅までバスで移動し分科会を終えた。

天候にも恵まれ、視察先施設の管理者から直に話を聞くことができ、大変有意義な分科会となった。



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※ THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWAは「開港5都市景観まちづくり会議横浜大会実行委員会の構成団体として参画している。

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