三溪園では2019年11月23日(土・祝)から12月8日(日)まで、園内の国指定重要文化財聴秋閣と春草廬を公開している。通常、柵の外側から外観だけを見ることはできるが、建物の側まで近づき内部を見ることができる貴重な機会である。
春草廬は、京都宇治の三室戸寺金蔵院にあった茶室で、古くは「九窓亭」と呼ばれ、織田信長の弟・有楽の作ともいわれるが、確証はない。
三室戸寺にあった当時は、伏見城の遺構と伝えられる客殿(同じく三溪園に移築されている月華殿)に付属する茶室であったが、原三渓は移築の際にこれを切り離し、新たに広間を付け加えて自身の隠居所であった白雲邸に付け春草廬とした。四畳に満たない小さな空間ながら、九つもの窓がリズミカルに配されているのがこの茶室の見どころ。路地には南北朝時代の禅僧・夢窓疎石が使用したと伝えられる蹲(つくばい)や、東大寺にあったと言われる伽藍石(礎石)が配される。
華奢な印象の建物に近づくと、にじり口の小ささに驚く。周りの庭と合わせてコンパクトでかつシンプルに茶の世界観が表現されていて美しい。
絶え間なく訪れる見学者に丁寧に対応していたボランティアガイドの女性に「犬山城の近くに同じく有楽の作品があり、そこと見比べるのも良い。」と教えられた。ガイドの女性の柔らかい笑顔からは三溪園に対する愛情がにじみ出ていた。
聴秋閣は、徳川家光が将軍宣下を受けるにあたり上洛した際、京都二条城に建てられたと伝えられ、のちに乳母の春日局が所有したといわれる。三つの屋根がバランス良くまとめられた外観の形状から、かつては「三笠閣」の名で呼ばれ、内部にも変化に富んだデザインが見られる。特に注目されるのは正面入口の部分で、奥の畳より一段低くした床面には正方形の木製タイルがL字状に敷き詰められ、天井の形もそれと呼応する意匠となっている。この空間は、池や水辺から直接舟で乗り付ける「舟入の間」の趣向を採ったものともいわれ、この建物が庭園の一角を飾るために建てられたものであったことがうかがえる。
聴秋閣奥に広がる渓谷遊歩道もあわせて開放されている。「美しい紅葉」というのにはまだ季節が浅かったようだ。しかし、それをおいても、流れに沿って内苑を見渡すことのできる眺望は一軒の価値がある。
Comments