横浜・三溪園で11月21日から開催されている「紅葉の古建築公開―重要文化財 聴秋閣・春草廬、遊歩道の公開」に参加した。
今回の特別公開は、重要文化財である聴秋閣と春草廬の2棟、三重塔の絶景を望む聴秋閣奥の遊歩道。2棟の重要文化財は内部に立ち入ることはできないが、建物の直近まで近寄ることができ、内部の様子や外観の詳細を確認することができる貴重な機会である。
まず最初に三溪園の入口から大池の前を抜け、内苑の聴秋閣へ向かった。聴秋閣の前につくと、足元の流れに置かれた飛び石を渡り、建物の内部を見ることができる。
解説によると、聴秋閣は徳川家光(1604 - 1651)の上洛に際し、元和9(1623)年に京都・二条城内に建てられ、のちに家光の乳母であった春日局(1579 - 1643)に与えられたといわれ、嫁ぎ先の稲葉家の江戸屋敷に伝えられていた。三溪園への移築は大正11(1922)年で、これをもって三溪園は完成となった。
意匠は、幕府の造営・修繕に関わる作事方を務めた佐久間将監によるといわれ、3つの屋根を組み合わせた外観から移築前は三笠閣と呼ばれていたが、原三溪はこれを聴秋閣と改め、周辺を秋に紅葉を楽しむ風情とした。特に注目されるのは奥の畳の間より一段低くした手前の入口部分で、床面には木製のタイルが敷き詰められている。ここは、水辺から舟で直接上がり込むための空間で、舟遊びを意識したものであったことが想像される。
次に特別公開の遊歩道に向かう。特別公開の遊歩道は、聴秋閣の奥に続く流れに沿って趣のある石段をあがっていく。一番上まで上がると折り返して聴秋閣に戻るコースになっているが、高い場所から紅葉と共に、流れ聴秋閣、さらにその先の三重の塔(旧燈明寺三重塔)を望む景色は格別である。
春草廬は、織田信長の弟・織田有楽(長益1547 - 1622)の作とされる江戸時代初めごろの茶室で、月華殿とともに大正11(1922)年に京都・宇治の三室戸寺金蔵院から移築された。
かつては「九窓亭」と呼ばれ、三畳台目、すなわち3枚の畳と約4分の3の大きさの畳を合わせた小さな空間には、その名のとおり九つの窓が美しく構成されている。
その三畳台目の小間に付属する水屋と広間は三溪園に移築の際に原三溪が加えたもの。かつては臨春閣の裏手に白雲邸と接続して建てられていましたが、第二次世界大戦の際に空襲の被害を避けるため解体され、戦後、現在の場所に再築された。
特別公開は令和2(2020)年11月21日(土)から12月6日(日)まで。同時期に開催されている「企画展「臨春閣―建築の美と保存の技―」(12月20日(日)まで)と合わせて楽しんでいただきたい。
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