令和3(2021)年4月、小田急線海老名駅隣接地に小田急電鉄初の屋内常設展示施設「ロマンスカーミュージアム」が開業した。ロマンスカーミュージアムは歴代の特急ロマンスカー車両のほか、小田急線沿線を再現した巨大ジオラマが展示されており、大人も子どもも楽しませながら、小田急の歴史を後世に伝えていくことが期待されている。
ミュージアムは2階建てになっており、2階にあるエントランスからチケットブースを抜けて順路に沿ってエスカレーターを下ると最初の展示車両として迎えてくれるのが「小田急モハ1型10号車」である。
時代は大正から昭和に移った時期で、この車両も台車など多くの部品は大正時代に製造されたものであった。車体長は14.2mと現在の車両よりも小ぶりで、片開き扉を3箇所に配した半鋼製車体で車内の内装には木材が多く使用されている。扉間がロングシートになっており、シートの上には網があり、天井近くから革製のつり革が下がっている。
側面窓は下降窓(落とし窓)で、日よけとしてよろい戸が装備されている。正面から見ると丸みを帯びた3枚窓となっている。運転席はなく、運転士は客室の先端部分をパイプで仕切られている。当時の近郊から東京に向かう通勤風景が偲ばれる。
「小田急モハ1型10号車」は、主に近郊区間用として新宿駅〜稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)間を走った。
昭和17(1942)年、陸上交通事業調整法の趣旨に則り、小田急電鉄が東京横浜電鉄に京浜電気鉄道と共に吸収合併され、東京急行電鉄(大東急)となったことに伴い、「小田急モハ1型」は「東急デハ1150形」となり、全車両が改番された。改番後の車両番号は、原番号に1150を加算したもので、「10号」は「1160号」となったが、昭和23(1948)年、小田急電鉄の分離独立に伴い、今度は「小田急デハ1160号」となる。
昭和25(1950)年にはさらに改番が行われるが、この時、相模鉄道へ譲渡された空き番号を埋めるように連番(デハ1101 - 1109)としたため「小田急デハ1105号」となる。この頃から同形式車両による編成の固定化が進み、貫通扉の設置がないまま「デハ1101 - デハ1105 - デハ1106」の3両編成で運行された。
昭和34(1959)年に「小田急デハ1105号」は 1106号・1107号・1108号とあわせて4両が熊本電気鉄道に譲渡され、「熊本電気鉄道モハ301号」として使用された。
昭和44(1969)年に、「モハ304号(旧小田急デハ1108号)」が、昭和55(1980)年に「モハ303号(旧小田急デハ1107号)」が廃車となった。昭和56(1981)年には「モハ301号」も廃車となったが、折りしも小田急が開業当時の車両を探して復元を行なう車両を探していた時期であったことから、「モハ301」は小田急に譲渡されることになった。(なお「モハ302号」は昭和60(1985)年廃車)となった。
復元は大野工場で行われ、既に図面がない状態ではあったものの、日本車輌製造の協力も受けられ、昭和58(1983)年には、ほぼ開業当時の「モハ1形10号」の状態に復元され、新百合ヶ丘駅3番ホームにて復元完了後初の展示公開が行われた。その後も、昭和62(1987)年、平成11(1999)年、平成18(2006)年のファミリー鉄道展にて展示公開されていた。
そして、令和3(2021)年、ここロマンスカーミュージアムに常設展示となり、安住の地を得たと言える。
小田急線の開通は、神奈川県の近代化・発展に大きく貢献してきた。ロマンスカーミュージアムの主役は言うまでもなく、歴代ロマンスカーである。しかし、神奈川の発展を支えてきた小田急鉄道の歴史の第一歩を知る、この車両こそ、是非、ミュージアムに訪れた際にはじっくり見ていただきたい。
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